大丈夫? ポイントという謎の文化

お買い物をするとポイントが付くという謎の文化……最近は様々な業種や店舗での競争が異様に激化しているようにも見えます。スタンプを押してもらったりシールを張ったりといったような似たようなものは昔からあったわけですが、いまだにその意味がよくわかりません。なんで物を買ったらポイントが付くのか? どうせそのポイントはお金の代わりに消費されるだけなのですから、最初から商品の値段を値引きしておいてくれた方がわかりやすくていいと思うのですが……。

もちろん、お店側の思惑もわからないでもないですよ。お金はどこでも使えるけれどもポイントはそのお店(や加盟店等)でしか使えない。ポイントを与えておけばそれを使うためにそのお店に再び来てもらう可能性が高まるという魂胆なのでしょう。商売する者にとっては都合のいいシステムなわけです。

理屈はなんとなくわかるのですが、でもやっぱりわからない。ポイントって何? と言われても、お金のように公平な価値のあるものではないし、食べられるわけでもないし、何かを作る道具や材料でもなく、どうにも答えようがない。実体がない謎の概念だと思うんですよ。そういうものが違法ともみなされずに日常的に利用されていることもまた謎です。税金の対象にすらならないのでしょ?(なるのかな?)とても健全な経済のシステムに則った概念だとは思えません。今や世界中で当たり前のように取り入れられているわけですが、それに対して誰も疑問に思わないのでしょうか?

とはいえ、わからないけれども私自身もとりあえず「そういうもの」として受け入れて利用しています。一円でも得するなら使わにゃ損でしょ。

とりあえずよく行く店のポイントカードは一通り作ってもらって、お買い物の時には必ず出すようにしています。「ポイントカードはありますか」と聞かれる前に出すのが私の流儀。出さなかったら負けだと思ってます。聞かれないこともあるのですが、そういう時に自分でも出し忘れていて後になってからポイントをもらえなかったことに気づいたりするとちょっと悔しかったりします。

携帯電話の au のポイントカード(au WALLET)は au ショップに行くと来店ポイントみたいなものをもらえるので、買い物は一切しないのに毎月三回は au ショップに通うということを二年くらい続けてますね。なんだかんだ言ってポイント生活にがっつりはまってるのか。

そういう私にとっては、「ポイントカードはありますか」で始まる一連のやり取りでの「不毛な消耗戦」みたいなものはありません。一々そういうやり取りを繰り返すのが面倒だから最初に作ってしまった方が楽だという思いもあったかもしれません。無用なストレスを溜めずにポイントが貯まるだけなのでメリットしかありませんね。

財布がポイントカードでパンパンに膨れ上がってるのはデメリットですが :-P

ところで、件の「不毛な消耗戦」についてですが、レジで並んでいるときに他の客と店員とのやり取りを見ていてよくありがちなのが、「ポイントカードはありますか」の問いに対して「大丈夫です」という応え方です。

「大丈夫です。」

いや、それじゃ大丈夫じゃないでしょ。その会話にならない応え方は嫌いです。「ない」とか「あるけど出さないよ」って意味なんだろうけど、とらえようによっては「もちろんありますよ」って意味にもなります。こんな会話は日本語としてどうかしてます。外国人に日本語を教えるときにはこんな意味不明な会話は教えないはずです。教えることもあるかもしれませんが、理解してもらえないでしょうね。

様々な人種や言語が入り乱れている欧米では会話においては常に白黒はっきりさせることが求められていると思います。お互いに言葉や文化の違いがあることを理解しているので、誤解を招かないようにシンプルにわかりやすくコミュニケーションすることが求められるのです。そうしないと思わぬトラブルに発展することもありますからね。

路地裏かどっかで強盗に遭遇して銃口を向けられたときに「大丈夫です」なんて答えたらその直後に脳天に風穴があいてますよ。

ところが、単一民族の中で「なあなあ」な文化を築いてきた日本人はそういうことが苦手で、何でも曖昧にごまかしがちなんですよね。「言わなくてもわかるでしょ」的な感じ。そういう態度って、相手を理解しようとする思いやりではなくて、自分を理解してもらいたいっていうわがまま(思いやりの強要)でもあるでしょ。最近は何でも「忖度そんたく」などという流行語でうまくごまかして正当化されがちですが、私はそういうところ、嫌いです。日本人の悪いところです。

忖度」というのは自分が相手の気持ちを理解しようとする姿勢としては正しいと思いますが、逆に相手にそれを求めることは単なる「わがまま」であって、とても失礼なことだと思います。

日本にはおもてなしの文化があるとか偉そうに言うけど、それとは矛盾するかのような身勝手で甘ったれてるところもあるんですよ。そういうところはとても世界に誇れる文化とは言えないと思うので、しっかりと自戒して改めてゆくべきだと思います。そういうことができなければ世界に向けて「おもてなし」だなんて恥ずかしくてとても言えませんよ。

あなたは、大丈夫ですか?

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テーマ : ポイントカード
ジャンル : ライフ

tag : 日本語 大丈夫 ポイント ポイントカード 会話 言葉遣い 忖度 おもてなし

Re: それでもペットを飼いますか?

ペットとして飼われている動物たちは野生の動物たちのように自分が食べたいものを食べられるわけではありません。飼い主に与えられるものを食べるしかありません。

どこかに出かけたくても自由に出かけられるわけではありません。死ぬまで狭い水槽の中、鳥かごの中、虫かごの中、家の中だけで過ごす動物たちも多いでしょう。散歩に連れて行ってもらえる犬でも首輪を外すことは許されません。

周りに人間はいても自分と同じ動物の仲間はいません。

野生の鳥たちを見てごらんなさい。いつでも同じ鳥の仲間たちと一緒にいます。人間には近づこうとすらしません。

飼い主によっては雄と雌のつがいで飼うことはあっても、自分で恋人を選ぶことはできないし、自由に子供を作ることもできません。犬猫の場合にはたいていは去勢されるでしょう。

去勢とは、人間でいうなら男性の睾丸や女性の子宮を摘出手術して子作りができない体にしてしまうことです。人間として生まれてきて自ら去勢を望むような人がいるでしょうか?(世の中にはそれを望む人もいると屁理屈を言う前に、自分自身がそれを望むのかどうかよく考えてみましょう。世の中には何らかの理由で去勢をする人もいますが、もし、世の中そんな人ばかりになったら子供がいなくなって人類は絶滅します。)

全ての生命は子孫を残すためにこの世に生まれてきています。自分がこの世に存在している理由そのものでもあるのですから、それを否定してしまったら生きる意味を見失うことになります。

ペットは、何もかもが人間によってコントロールされ、与えられる自由はほとんどありません。

飼い主によっては、「うちのペットは自由にさせている。幸せに思っているはずだ」と主張する人もいるでしょう。しかしそれはあくまで人間の目線での考え方にすぎません。動物の目線で考えた時には、自分の考えが間違っているということに気づくはずです。

どんな動物でも、本当は自由に生きたいはずなのです。

でも、人間に捕獲され、ペットという名の奴隷として扱われるようになってしまったので、仕方なくそれを受け入れ、彼らなりに環境に適応して必死に生きているのです。

人間の子供だって同じでしょう。物心つく前からその家で育っていれば、自分の親がどんなに酷い虐待をしようとも、それを受け入れて生きていくことしかできません。逃げ出すこともできないのです。

幼児・児童の虐待の実態が明らかにされにくいのは、虐待を受けている子供の方がそれを隠そうとするからです。子供は、どんな酷い虐待を受けようとも、その親の元でしか生きていけないと思い込んでいるのです。

ペットにされた動物たちも同じで、素直で幸せそうにふるまうように「飼いならされている」にすぎません。

親の方も自分が虐待をしている自覚はありません。自分の子供は幸せだとすら思いこんでいるでしょう。

私にはそういう酷い親とペットを飼う人たちが同じように見えます。

だから許せないのです。

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テーマ : 動物愛護
ジャンル : ペット

tag : ペット 児童虐待 幼児虐待 去勢

ツタヤのセルフレジはもう使いません

ツタヤのセルフレジ。あれはひどい。私は今は有人レジしか使っていません。

地元のツタヤにセルフレジができたのは最近のことでしたが、できたばかりの頃にすぐに使ってみました。

私ももう四十代半ばのおっさんです。このくらいの世代より上の年代になると若者のように新しいシステムに馴染めずいつまでも古いものにしがみついてしまいがちですが、私自身はこういう機械物をいじるのは嫌いじゃないのでとりあえず試してみようとすぐに思いました。

最初は使い方がさっぱりわからないので店員さんを呼んで手取り足取り全部教えてもらったのですが、二度目からも結構わかりづらくて慣れるまではかなり時間がかかっていました。

レンタルされているDVDBDには鍵が付いていて、自分で外す必要があります。これも最初に店員さんに教えてもらったので外せるようにはなりましたが、こういう作業があれこれと入ってくるとめんどくさいですね。仕事でやってる店員さんが手際よくやるのはわかりますが、素人の客がプロと同じ仕事をてきぱきとこなせるはずがありません。

しかし、この鍵は必ず付いているというわけではないようでした。最初はそれに気づかず全てに付いているものだと思い込んでいたので、鍵の付いてないDVDを何度も鍵外し器にこすりつけてイライラすることがありました。鍵は付いていたり付いていなかったりするようでした。

ある時から鍵の付いているDVDが全く無くなったので、店側が気を利かせて鍵を付けないことにしたのかもしれないと思いました。あまりにめんどくさいので客から多数の苦情があったのかもしれません。

それでてっきり全てのDVDBDには鍵は付いていない物だと思い込み、鍵外しの作業もせずに借りてくることが当たり前になっていました。

ところが、一部のDVDBDにはまだ鍵が付いていたのです。それに気づかず鍵を外さないままDVDを借りてきてしまいました。

そもそも鍵の形状がわかりづらく、付いているのかいないのかパッと見てすぐにわからないというのも問題です。もちろんよく見ればわかるのですが、店員でもない客がそこまですぐに見分けがつくわけがありません。

それに、この鍵には本来防犯目的で付けたまま店を出ようとするとブザーが鳴ったりしてすぐにわかるはずなのに、それすらもなくて普通に家に持ち帰ることができてしまったのです。いったい何のための鍵なのやら?

家に持ち帰ってから気づき、ツタヤに戻るのはめんどくさかったので、どうにか鍵を外してDVDを観てやろうと思ったのですが、思いのほか頑丈でどうやっても鍵を外すことができませんでした。おそらく強力な磁石か何かが必要なのだと思います。

仕方がないのであきらめて、一週間後の返却日にツタヤに行って事情を説明しました。一応こちらのミスなのでレンタル料金を返せとは言えないのですが、普通は店側がサービスで一回分無料の引換券みたいなものをくれたりするものです。しかし、そういうことは一切なく、私が悪いから料金の返却もサービスもしませんという返答でした。

鍵が付いているものと付いていない物があるということも問題だと文句を言ったのですが、それも店の方針だから変えることはできないと言って、こちらの言い分は全く聞き入れようとしませんでした。普通は客にとって不都合があるなら店側は改善を検討しますとかそういうことを言うのが普通だと思うんですけどね。それすらもありません。

私のように鍵を外し忘れて持ち帰る客は他にもたくさんいるようで、それは店側も把握しているとのことでした。だったらなおのこと改善の努力をすべきでしょう?

全部にカギが付いていれば毎回外すことが当たり前になるので外し忘れもしなかったと思います。付いているものと付いてない物があるから混乱の元となっていたのです。そういうスキルを身に着けることを客に要求するのはいくら何でも店側の怠慢としか言いようがないと思います。

店員の態度があまりにひどかったので、私もその場では怒り心頭して「もうええわ!」と言って帰りましたが、ツタヤ以外には地元にレンタルDVD屋がないので嫌でもツタヤを利用するしかありません。

そっちに改善する意思がないならこっちとしてはセルフレジを使わなければいいわけです。それで今後は有人レジを使うことにしたというわけです。

有人レジを使うことで店側には人件費が余計にかかることになるでしょう。セルフレジだって何千万円もする高価なものでしょうから元を取るには人件費を削る必要もあるでしょうが、私のように有人レジを使いたいと思う人が多ければ人件費を削ることができなくなります。本末転倒なわけです。

実際、セルフレジはいつ見ても使っている人はほとんどいません。セルフレジが空いていても有人レジに人が並んでいます。私と同じように思う人は多いのでしょう。

レンタルビデオ屋のようなお店の場合は借りるビデオの内容は個人のプライバシーにかかわるようなことでもあるので人が対応するよりもセルフレジの方が合理的とも言えます。アダルトビデオなんかを女性店員のレジに持っていくのは恥ずかしかったりするでしょうが、セルフレジならそういう心配もありませんからね。

それでも私は有人レジを使おうと思うのです。それくらいセルフレジはひどかった。セルフレジの機械だけじゃなく、そのシステム全体に問題があるのです。鍵がわかりづらいとか、その後の店員の対応とか。

それにね、お店で人が対応してくれるって、嬉しいことだと思うんですよ。些細なことかもしれませんが、そういう場所での人との触れ合いは無くしてはいけないような気もします。

最近では銀行などのATMですべてできてしまって窓口で人に触れ合う機会も減りました。駅の券売機もそうでしょうし、ガソリンスタンドもセルフ式が増えてきましたね。

コンビニもかなりのものがセルフ形式になってきています。セブンイレブンとかはセルフサービスでコーヒーを売ってますよね。それに対抗するローソンは店員がすべてやってくれるのですが、それがまた店員の負担になるとかで批判されたりしていて世の中訳が分からなくなってきています。

いいじゃないですか。人が淹れてくれるぬくもりにこそ価値があるんですよ。私はローソンの方式が好きなので、コーヒーを買うならセブンではなくてローソンにしてます。同じ金額のお金を払ってるのに何で自分でやらなきゃならんの? だったら自宅で淹れた方がよっぽどましです。

そういえば、今ではロボットをペットとして飼うのが当たり前の時代になってしまいましたね。ペットですら機械化されてしまう。まさにSFの世界そのものです。

数十年前にSF作家や漫画家などが思い描いていた近未来の何でも自動化されてしまう夢の世界はまさに実現されつつあります。昔の人たちはそこに理想を思い描いていたのでしょうが、現実にはそんな世界は虚しいだけです。

生身の人や動物たちとの触れ合いがなくなってしまった世界。日常の会話の相手ですらもはや人間ではなくスマホの画面、SiriGoogleコルタナさんです。怖くないですか?

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テーマ : 暮らし・生活
ジャンル : ライフ

tag : ツタヤ TSUTAYA セルフレジ レンタル ショッピング SF 機械化 ロボット

0120からの着信に出てみる

ここ数日0120の電話番号からかかってくる電話が毎日3回以上かかってきていました。全部同じ番号からで、少なくとも十回以上は着信履歴が残っていました。

普通はあり得ない番号だったので怪しいと思って電話に出ずに無視し続けていたのですが、あまりに続くので着信拒否設定にする前に試しに出てみようと思いました。

そう思ったすぐ後にさっそくかかってきたので出てみる。

「もしもし、タロット占い師のアポロです。」

そう言えば相手がどう反応するかも試してみたかったので、あえて占い師と名乗ってみました。

すると、相手は某有名業者を名乗り、「〇〇さんですか?」と聞いてきました。もちろん私の名前ではありません。

どうやらただの間違い電話のようでした。いや、実際には間違いだったのかどうかはわかりませんよ。何らかの詐欺業者が嘘をごまかすために有名業者を名乗って間違い電話を装っただけということも考えられます。なんせ相手は占い師だったわけですから向こうも慌てたかもしれません。

ともあれ、「間違い電話でした」で話は終わりそうになったのですが、こっちもそれなりに迷惑を被っていたわけですから、ちょっと手厳しく注意しておくことにしました。まあ、相手が詐欺業者である可能性も考慮して釘を刺しておこうと思ったわけですが。

正月から何度も電話してきて留守電一つ残さなかったことや、0120などという怪しい電話番号から発信してきたことなどをくどくどと数分にわたって締めあげました。どうせなら一時間くらい長時間通話させていじめてやろうと思ったのですが、実際には6分程度の通話で終わってしまいました。もっと長く話してたつもりなのですが、意外と短かったようです。

相手も平謝りしていて、私に手厳しく説教された後は意気消沈して気を失いそうなくらいに声も弱弱しくなっていたので、本当に間違い電話だったのかなと思いつつ電話を切りました。

先ほど電話番号を検索してみたところ、確かに相手が名乗った業者の番号であるとの情報が見つかり、嘘はついていなかった模様。

聞いてみたところ秋田から電話しているとのことで、全国の顧客を対象にしていると言っていましたが、しかし、電話で商売している割には非常識極まりないなぁと思いました。疑われる危険性のある0120の番号なんかでかけてくるからかえって信用を無くすと思うんですけどね。大手業者の傲りというやつでしょうか。

実際、0120の番号を使うのは詐欺業者が大半だと言われているようですし。

業者の皆さん、(詐欺であれ堅気であれ)少しは考え直した方がいいですよ。

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tag : 電話 詐欺 セールス

今年一番に挨拶に来たのは

2018年になって一番最初に私に挨拶しに来たのは蜘蛛でした。

朝起きて洗面所で顔を洗い、歯を磨こうとしていたら水道の蛇口のそばを小さな蜘蛛がのそのそとはって来ました。

ここしばらく蜘蛛の姿は私の家の中で見かけていなかったのですが、まるで存在をアピールするかのように年明け早々私の目の前に姿を現しました。

「今年もよろしく」とでも言ってるかのようでした。

私も蜘蛛に向かって、「あけましておめでとう」と新年最初の挨拶をしました。

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tag : 蜘蛛 正月 新年

無残な切り株

切り株の写真

まるで呼ばれたかのようにそこへたどり着いた私は唖然としました。

そこにあったのは切り株でした。まだ切られたばかりで周りにはおがくずが残っていました。

その樹は「苔むし朽ちかけた樹」でした。幼少のころの友人の思い出と共にあり、ひっそりと今までずっとそこに立っていました。朽ちかけているように見えていたとはいえ、まだ緑の葉を広げて元気に生きていました。きっと、私が死んだ後もずっとそこに立っているのだろうとすら思っていました。

その樹が、切られてしまったのです。

ちょっと前にその樹にテープが巻かれていたことには気づいていました。何かの目印のようで、もしかしたら切り倒す準備なのかと嫌な予感はしていました。まさかその予感が的中してしまうなんて……。

今日、その道を通りかかったのは本当に偶然でした。自転車で出かけようと思ったらパンクしてしまって、仕方なく歩いて散歩に出かけることにしました。いつもの散歩のコースを歩き始めたのですが、なぜか今日に限っていろいろと道を遮るものがあっていつもとは違う道を歩くことになってしまいました。その樹の前はいつもなら散歩のコースではなかったのに、なぜか今日はそこにたどり着いてしまったのです。

そして、目の前には無残な切り株の姿。その樹が自らの最期の姿を見せようと私を呼び寄せたとしか思えませんでした。

なんでこんなことをしてしまうのだろうと悲しみと怒りがこみ上げてきました。

形あるものはいつかは失われる。それは仕方のないことだとはわかっていますが、まだ精いっぱい生きていたその命を人の手で奪う必要などあったのでしょうか? 何十年もそこにあり続けたその樹に対する敬意はなかったのでしょうか。

その樹の思い出を語る相手ももはやこの世にはおらず、その樹が切られても誰も何とも思わないのかもしれませんが、私にとっては亡き友人の霊が宿る特別な思い出の樹であり、ただただ残念であり、何もできなかったことが無念でもあります。

私の見る物、触る物は皆死んでゆく。まるで死神に出会ってしまったかのように。

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テーマ : 伝えたいこと・残しておきたいこと
ジャンル : 日記

tag : 死神 運命 切り株

健康オタネタ

健康食品だのサプリメントだのダイエットだの筋トレだのと、健康に関することに異常に執着する人たちがいます。いわゆる健康オタクです。私自身も多少はそういう傾向があって、その手の情報についつい釣られてしまうこともあります。

でも、そういう情報を鵜呑みにしてかえって心身のバランスを崩して不健康になってしまっている人も多いと思います。

テレビの情報番組で納豆がいいとかヨーグルトがいいとか言ってるとすぐにスーパーなどの食品売り場からは関連商品が売り切れになってしまう現象も頻発していますが、それこそまさにバランスを崩した人たちの異常行動の表れですよね。

健康になりたいという欲求は生命維持のための本能的な衝動とはいえ、人間の場合は頭で考えすぎてしまうので、自分の知識で理解できる範囲で行動してしまいがちです。すると、健康にいいという情報だけを信じて単一の食品のみをたくさん食べすぎてしまい、栄養のバランスを崩し、肥満体質になって病気になってしまったりするわけです。本末転倒ですね。

そういうことにならないようバランスをとることが大切ですよと訴えるために、健康オタ批判のネタを定期的に書いていくのもいいかもしれないなどと思いました。

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テーマ : 食と健康
ジャンル : ヘルス・ダイエット

tag : 健康オタク 健康食品 サプリメント ダイエット ライザップ ヨーグルト コーヒー 肥満

炎上させてみる?

炎上しやすいネタを題材にして記事を書いてみるというのも面白いかもしれない。

ちょっと調べてみると、「食べ物」「宗教」「社会保障」「格差」「災害」「政治」「戦争」等の話題が炎上しやすいとのこと。

食べ物というのは、粗末にするなとか、味覚異常かと思われるようなミスマッチグルメ的なものかな? 昆虫食とか? いまいち具体例が思いつかない。

宗教はなんとなくわかる。いつの時代でもそれはタブーとされてきたものだからね。今ならスピリチュアルとかかな。

社会保障・格差というのは難しそうだけど、要は無関心や無知が炎上の原因になるわけだから、詳しく知らない方が炎上させやすいかもしれない。

災害について安易に書けば炎上しやすいのは想像できるけど、人格的な問題にまでかかわってきそうだから怖いな。

政治や戦争も安易には書けないが、無知であっても何も書かないよりは何か書いた方がいいとは思う。炎上とは別の意味で、何か発言することが大事だと思う。無知は無関心よりよっぽどましだからね。

災害以外なら書いてもいいかな。

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ビデオチャットでのタロット占いの実例

ビデオチャットでタロット占いをしている様子を録画した動画を見つけました。スカイプか何かを使っていると思います。

五年ほど前の動画ですが、当時すでにタロット占い師として活躍していたエオラさん(現在は故人)を占っています。動画内にはエオラさんの姿は映っていませんが、音声はかなり鮮明に録音されています。彼女の貴重な音声の記録となります。

タロット占いの実例として公開していますが、相談内容は占い師の裏話のようなものなので、あまり表で堂々と公表するのもはばかられたのでひっそりとFC2動画の方にアップロードしておきました。動画の紹介もこの裏ポロでひっそりとしておきます。

この時使用していたタロットカードはエオラさんからもらったものだったようで、その記念か証拠か何かのつもりで録画したのかもしれません。(私自身もなぜこのような動画を残してあったのか覚えてないのです。)

そして、そのタロットカードを彼女からもらったポーチに入れて持ち歩いているのです。

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テーマ : 占い
ジャンル : 趣味・実用

tag : タロット占い 占い師 音声通話 ビデオチャット ワンオラクル 一枚占い エオラ

死神になった男

私のタロットポーチには髑髏ドクロのアクセサリーが付いている。

タロットポーチ

この手作りのタロットポーチは彼女(エオラさん)からのプレゼントだった。その時の彼女の手の指には絆創膏が巻いてあった。普段から裁縫など全くしない不器用な彼女は何度も針で指を刺して血を流しながら一生懸命ポーチを縫ったに違いない。

そこに付けられた髑髏のアクセサリーは彼女の明るく清らかな表向きのイメージからすればあまりにも悪趣味で、彼女らしからぬ選択だったといえるだろう。占い師の持ち物としても相談者に対する印象を考えればあまりふさわしいとは言えないかもしれない。

なぜ彼女は髑髏を選んだのか。それは、彼女が私のことを「死神」だと知っていたからかもしれない。

私は小学生のころから死神にあこがれを抱いていた。学校の図書館で借りた本に書かれていた死神の話に影響されてしまったのだ。将来の夢は死神になることだとさえ言っていた。

死神とか関係はないが、そのころから海賊にでもあこがれたのか、髑髏のマークを自分のシンボルとして描くようになった。あるいは、一休宗純いっきゅうそうじゅんのように何かを悟っていたのかもしれない。

そんな小学生のころ、夏休みに海水浴に行ったときに、たまたま自分たちが泳いでいたビーチに溺死体が打ち上げられたことがあった。私は死体の全身を見たわけではなかったが、わずかに覗いていた変色した足を見てしまったことがトラウマになった。それ以来我が家では何年も海水浴に行くことはなかった。

誰かが溺れ死んだのはもちろん私のせいであるはずはない。とはいえ、海水浴に出かけてたまたま溺死体にお目にかかる機会など人生にそうあるものでもない。何かしらの運命がそこに働いていたともいえる。今思い返せば、私が人の死に直面した事件としてはそれが最も古い記憶となるだろう。

二十歳前後の四年間、私は自衛隊にいた。そのころのほぼ同期である隊員の一人が死んでいる。

彼は私とよく印象が似ている人物で、他の隊員からはよく混同されて名前を間違えられたりしていた。彼の方も私のことを一方的にライバル視していたようで、私と競い合うような態度をたびたび見せた。特に持続走の訓練では私がその部隊のトップとして活躍していたので必死になって私に追いつこうとしていたが、結局彼が私に勝つことは最後までなかった。

彼は隊員だったころから精神を病んでいたようで、入院もしていたような覚えがある。あまりにまじめすぎて思いつめすぎる性格だったようだ。私のような強力なライバルの存在が彼をさらに精神的に追い詰めていたのかもしれない。そんな彼には自衛隊の生活は合わなかったのだろう。私よりも先に自衛隊を辞めてしまった。

彼の除隊後しばらくして、彼の元上司だった人物から「彼が死んだ」という知らせを聞かされた。原因ははっきりしなかったが、自殺ではないとのことだった。でも、本当のことはわからない。

そんな自衛隊生活をもうすぐ終えようかという頃、阪神淡路大震災が起きた。私が勤務していたのは兵庫県伊丹市の駐屯地である。そこはまさに被災地であった。伊丹の自衛官たちは自分たちが被災者でありながら地元民の救助活動もしなければならないという苛酷な事態となった。私も満期除隊を前にして救助活動に参加した。

その震災では数千の人が亡くなっている。もちろんこれも私のせいというわけではない。地震大国の日本では何年かに一度はこのような地震が起きてあちこちでたくさんの人が被害に遭っている。決して珍しいことではないのだ。生きているうちに震災を経験しない人の方が少ないかもしれない。それでも、なぜ私がそこにいるときにあの震災が起きたのかと不思議に思うこともある。長野県出身の私が地元から遠く離れた兵庫の地にいたことの偶然。そして、あと数か月時期がずれていれば、私はアメリカにいたかもしれないのだ。

除隊後すぐに私は渡米した。渡米してすぐのころ、友人から知らせが入った。私の親友だった人物の死の知らせ(Tarot FILES #2)だった。

死んだ親友とは渡米直前に会っており、その時些細なことで喧嘩をしてそのまま別れてしまった。

彼はとてもしっかりした人物で、大人としてしっかりと働き、自立した生活をしていたが、精神的な問題も抱えていた。やはり彼も精神的な病で治療を受けていた時期がある。そして、宗教に依存してしまうこともあった。最後に彼に会ったときにも、彼は怪しい宗教的なものに取りつかれており、私はそのことを厳しく指摘した。元来強情な彼が私のいうことなど聞くはずもなく、和解することなく喧嘩別れとなってしまったのだ。

しかし、それが彼に対する呪いの言葉にでもなってしまったのだろうか。彼は救われることなく、作業中の事故で死んだという。

あの時、彼は本当は私に救いを求めていたのかもしれない。私も強引にでも彼を説得すればよかったのかもしれない。でも、私には彼を救うことができず、見捨てるような形でアメリカに逃げ去ってしまった。だから、彼は死んだのかもしれない。

アメリカでは語学留学生として二年間過ごした。自衛隊で貯めたお金を使ってほとんど遊び暮らしていただけだったが、たくさんの人と出会い、いろんな経験をし、充実した日々を送ることができていたと思う。

そこで出会った日本人の女性と恋をして、しばらく付き合ったことがある。短い期間だったが二人でアパートを借りて同棲もした。

しかし、おかしな話だが、彼女にはすでに婚約者がいたのだ。もっとおかしな話だが、私は彼女に招かれてその婚約者の家に行き、婚約者とも顔を合わせているのだ。

その婚約者との関係がうまくいっていなかったのかどうなのかよく覚えてはいないが、一時期は私と本気で付き合っていたようだった。

結局私は失恋し、そのショックも引き金となり帰国を決意した。

その後、彼女は婚約者と結婚し、子供も産んだ。

私が帰国した後も彼女とは時々連絡を取り合うことはあり、疎遠になりながらも細々とつながりは維持していた。

そんな彼女も見えない世界にのめりこみがちだった。特定の宗教ではなくニューエイジ的な、いわゆる精神世界である。私と初めて出会ったころからそういう傾向はあったが、年々その傾向は増していったように思えた。現実逃避をして見えないものばかり見ようとしていた彼女を厳しく戒めたこともある。

だが、彼女がそんな見えない世界を信じようとしていたのも、理由があったのかもしれない。彼女の夫もまた死んでしまったのだ。私とも面識のあるあの婚約者だった彼は死んでしまったのだ。

彼女がどんな思いでいたのか、その本心は聞き出せていないが、夫の死に直面した彼女にとっては精神世界こそが心の支えとなったことは間違いないだろう。

彼が死んだのも私のせいではない。遠くアメリカにいる元彼女やその婚約者のことなど気にも留めていなかった。恨みや憎しみなど抱いたこともない。だが、私と関わるとこうなってしまうのだ。まるで、私のそばにいる守護霊しにがみか何かが私に同情して裏切り者の恋人の夫を呪い殺したみたいになってしまっている。もしかしたら、それが真実かもしれないが……。見えない世界を信じる彼女にそう言えば信じてしまうかもしれない。

アメリカの元彼女とは一時期フェイスブックでつながっていたこともあった。だが、それに嫉妬した今彼女イマカノの意向でつながりを削除してしまった。その時の今彼女だったのがエオラさんだ。おかげで私には友達がほとんどいなくなってしまった。

エオラさんは嫉妬深く、私が他の女性と少しでも関わることを極端に嫌った。占いのお仕事で女性のお客さんの相談に乗ることすら不満に感じていたほどだ。そんなことを言われても占いのお客さんなんてほとんどが女性なのだからどうしようもない。相談者に優しい態度をとれば彼女の機嫌を損ねることになるので、私はどんどん冷たい占い師になっていった。

彼女とは私が帰国して数か月後に出会い、その後十数年もの間、恋人として付き合ったり別れたり疎遠になったりと、遠距離で危うい関係をずっと続けてきた。出会った当初は彼女は既婚者で、私とはいわゆる不倫関係だった。それでも私は彼女と本気で付き合い、彼女のことをずっと思い続けていた。

数年前にも気持ちのすれ違いか何かでしばらく疎遠になっていた時期があったが、久々に彼女の方から私の携帯に電話が来たと思ったら、それは本人からではなく知人からで、彼女が事故に遭って危篤だとの知らせであった。その後まもなく彼女が亡くなったとの知らせが入った。私が人生の大半をかけて愛した、最愛の人物までもが死んでしまったのである。

転んで頭を打ってそのまま死んでしまったのだとか。

彼女は私と話すときには常に自分の死を考えていた。生きることに前向きに向き合えない人だった。どうやって死ぬか、そんなことばかりを考えているようだった。彼女は自分の理想の死に方として何度も語った。

「極地(アラスカ?)に行ってオーロラを見ながら死ぬの。」

そんな美しい死に方にあこがれていた彼女の最後は、蒸し暑くごみごみとした都会のど真ん中の薄汚れた空気の中で、アスファルトの地面に頭を打って野垂れ死に。彼女が最も望まないみじめな死に方だったかもしれない。でも、それが現実なのだ。

彼女はよく転んだ。私と一緒に歩いているときもよくつまづいて転びそうになることが何度もあった。私と一緒にいれば、しっかりと手をつないで支えてあげることはできたのに、彼女は私から離れて行ってしまった。そして、転んで、だれにも支えられることなく、孤独に死んでいったのだ。

まるで、私から離れていったとたんに死神が迎えに行ったみたいだ。

彼女のそばにいてあげられなかったことが悔やまれる。

彼女が死ぬ前に、本当は私の方が先に死んでいたのだ。私は一度、本気で自殺をしようとしたことがある。彼女が占い師としてデビューした直後の2001年のことである。その時彼女は私のそばにいて、私を引き留めようと必死になって行動した。うつ病か何かの治療のつもりだったのか、私に強い睡眠薬を飲ませて数日間昏睡状態のまま彼女の部屋(ホワイトガーデン)に監禁していたこともある。私にはその時の記憶が全くないくらいだ。

しかし、彼女の努力は全く無駄になり、最終的に私は自殺をするつもりでビルの上に立った。だが、私には死ねなかった。自殺などできなかったのだ。生きることは大変だが、死ぬことはもっと難しいと悟った。人は本来、死のうと思って死ねるような生き物ではないのだ。

だが、人は死にたくなくてもあっけなく死んでしまう。人は生まれて来た時と同様、死ぬ時ですら自分の命を自由にはできない。生も死も、すべては神の手のひらの上でもてあそばれているにすぎないのだ。そう、死神という神の……。

私はビルの下に死の世界を見た。自らその世界に最も近いところまでたどり着いたものの、その死の門をくぐりぬけることはできなかった。死の門は固く閉ざされ、私を迎え入れようとはしなかったのだ。私はそこから引き返し、まるでゾンビのように生きながらえ続けた。自分が本当に生きているのかどうかすらもわからない半分死んだような意識のまま生き続けてきた。

そして、彼女は死んだ。

それでも、私は生きている。

私は死神。私に近づけば、死の門は開かれる。

死神

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テーマ : 恐怖の体験話
ジャンル :

tag : 死神 髑髏 タロット 阪神・淡路大震災 エオラ

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