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機械が支配する理性的な社会は実現するのか?

社会を管理する組織というのは完全に理性的であるべきだと思う。例えば国会議員や裁判官のような職業のことね。

そういう組織に人間的な感情が入り込むと、偏りのある価値観で判断しがちになってしまい、一部の人たちだけを優遇してしまったりして、不公平な対応になりかねない。それが行き過ぎると独裁者や宗教に支配された社会のようになってしまう。それはとても危険なことだと思う。

現代の日本社会においては、前提としては宗教と政治は切り離されているけれど、それもやや曖昧な感じになっている部分もあるように見受けられる。日本だけではない。欧米でもその傾向は感じられる。

最近特に気になるのは性差別の問題。男女差別は昔からあることだけど、それが最近はその傾向がやや変化してきている。単純な男女という二元論ではなく、その中間の性にも社会的地位や権利を与え始めているのである。いわゆるトランスジェンダーなどと呼ばれる人たちのことだ。

トランスジェンダーと呼ばれるような人たちの人口は欧米や日本のような先進国ほど増えているのかもしれない。おそらく、本来の性ではなく「文化」が生み出した仮想的な性なのだ。

後進国の文化圏ではそのような性は生まれにくい。なぜなら、男と女は生物学的に男と女であるべきで、子供をたくさん産んでもらうことが国家の繁栄につながる。先進国に追いつくためには男女の性的役割は明確であるべきなのだ。

ところが、すでに繁栄しきった国家においては子孫繁栄の営みは優先度が低くなる。それ以外の文化的活動に意識が向けられるようになってくるわけだ。そうなると男女のセックスも単なる生殖活動ではなく、コミュニケーションの方法の一つに過ぎないというレベルになってくる。いかに産むかではなく、いかに楽しむかという方向に変わってくるわけだ。

子供を産む必要がないのなら、性交における性別もそれほど重要ではないということになる。同性同士でも快楽が得られれば良いのだ。

性別に意味がなくなったことで人は自らの性的アイデンティティを見失い、その迷いの挙句にたどり着いた結論が「トランスジェンダー」ということではないだろうか。

社会的にはそれを理性的に受け止めようとしているように見えるが、そんなものはとても理性とはいいがたい。快楽を得ようとする欲望が生み出した都合のいい理屈なのだ。それを正論として法的にも社会的地位を与えようなどというのはあまりにも下劣ではないだろうか。言い換えれば、人々に欲望のまま、意のままに生きよと言っているようなものである。言い過ぎなのは承知の上であえて言うが、それはつまり「犯罪者にも権利を与えよ」と言っているのと同じことなのだ。

欲望を抑えて生きよと諭す宗教的思想の方がよっぽどましである。

こういうことを公の場で堂々と言うと非難されてしまうような時代である。いわゆるネット上での炎上が即座に発生してしまう。だからそれを恐れて誰一人としてそのようなことを堂々と言おうとはしないだろう。社会的地位のある人ほどそういうことは言いたがらない。世間の賛同を得て人気者になりたければ、理性的な判断を捨てて世相(感情)に迎合しなければならないのだ。

まさに「裸の王様」状態の現代社会である。誰も本音では語れなくなってしまった。とても息苦しい社会だと思う。

そこでだ、話を本筋に戻すと、完全に理性的な組織というのは、そもそも人間には実現不可なのだと思う。どうあがいても人間は人間。欲望にあらがえないのだ。

では、どうすればいいのか? 誰の胸の内にもその答えは何となくあるのではないだろうか。それは、人間ではなく機械(コンピューター)に任せてしまうことである。

機械にはもちろん感情はない。完全に理性的な存在だ。それに任せてしまえばあらゆる人々にとって公平な組織が出来上がるだろう。理論的にはそうなるはずである。われわれ人間は機械に管理されて生きていた方が幸せなのかもしれない。

ただ、最近ではその機械ですら人間的感情を持ち始めているというのは気になるところである。もちろんその感情は人間がプログラムした疑似的・模倣的な感情でしかない。一見するとロボットやスマホなどが感情をもって話しかけてくれていると錯覚しがちだが、それらは決して本当の感情ではない。

しかし、人間が機械に感情を与えようとして試行錯誤した結果、実際にそれらしいものが本当にできているような気もしてくる。そもそも人間の感情だって、ある種のプログラムによる条件反射にすぎないのかもしれない。機械が示す疑似的な感情とどう違うというのだろう?

そんな今の機械を見ていると、それらに理性的な仕事を任せきってしまうのもやはり危険なのかもしれないと不安になる。たとえ中途半端なプログラミング的感情であっても、理性的判断を狂わせるには十分であるような気がしてならない。そもそもそれをプログラミングするのは人間なのだ。その人間の思想や価値観が反映されるのは当然といえる。

結局、機械にすべてを任せることもできないだろう。仮にそれをやってみたとしても、すでにそれが実現するような時代には機械にそれなりの感情が組み込まれていて、人間が運営する組織と何ら違いはなかったりするに違いない。

むしろ人間ほど融通が利かない点では、より危険な組織となりかねない。機械というのはいつまでたってもアスペルガー症候群なのだと思う。

人には理性も感情もある。でも、そこに愛情とか思いやりがあるからこそ、理由がなくても相手を「許す」ことができる。それだけ融通が利く余地があるのだ。

ところが機械にはそれが難しい。機械による結論は常に確定的で、それを変更するためには理由が必要なのだ。機械が「愛」を理解するのは、もっと時間がかかるだろう。

なぜなら、彼らには性別がなく、生殖活動をする必要もないからである。異性を思う気持ちがあるからこそ、人間は自然と愛を学ぶことができるのだ。

人間たちが性別を見失いかけている現代社会においては、愛すらも疑似的なものとなってしまうのかもしれない。いや、すでにそんな時代なのかもしれない。

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テーマ : 政治・経済・時事問題
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tag : 政治 組織 コンピューター 機械 理性 感情 欲望 宗教 トランスジェンダー

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